音の半自動生成をしていて気づいたこと

IHo8という思いつきと技術鍛錬のための脱線で作成した半自動生成シーケンサーを作り、思った以上に面白いリズムができることに大変満足しています。拡張するものや派生品を制作していこうと思います。

https://www.voicingants.jp/weapons/Voicing+Ants/IHo8/

その自動生成シーケンサーを使っていて、2点ほど気づいたことがあります。前に作った音に似ているような似ていないような気分になったことがきっかけです。

  1. 自動で生成した音は、1週間推敲を重ねて作り上げた音に比べて記憶に残されていないのではないか。
    このことから、意図せぬ重複作品を生んでしまう可能性がある。音でなくとも、イラストにせよ文章にせよ、隠れ自動生成創作物がこの世に生まれてきた場合に、無意識の表現かぶりが発生し、最終的には自動生成器を隠れて使っていることが判断できるようになるのではないか。
  2. 同じ生成器で作成され、かつ、同じ人物が選択した場合は似た音の集まりになる。
    過去に何を聞いたかに影響される。良し悪しの判断というのは、その人の価値観に左右されるものなので、自動で生成したとしてもゴーサインを出す人間の価値観を飛び越えることはできないのではないか。同じ制作会社が作った制作物はリリースする会社が違っても同じような雰囲気になることに似ています。

これらを受けての疑問

  1. 「生成」だけでなくこれで良しとする「判断」(選択)も機械・AIがやりだした場合はどうなるのか。
    悪いほうに考えれば、何を持って判断したのかは分からない状態で、結果から判断が正しいかどうかを考えなければならないため、アルゴリズムやAIが出した判断がもたらす結果が出るまでしばらく待つ必要があり、その判断が間違っていた場合、修正が手遅れにならないとも限らない。
  2. 「これは機械やAIの判断だ」と人が気づかなくなったらどうなるのか。
    様々なものを知っている人が見たり読んだりすれば、類似性や問題点に気づいたりできるが、そうでない人はただ鵜呑みにするだけになるかもしれない。判断が誤っていた場合であっても非可逆的な未来を生むことになる。

こう考えてみると、神様と設定されたAIが存在していることに気づかないのが人間だ、などというサイエンスフィクション的な創作にもなりそうです。

IHo8画像の補足

冒頭のシーケンサー画像にBible and Peopleとの記述があることについての補足として、このシーケンサーの意味のようなものを記述します。

聖書・経典がたった一冊であっても、手に取る人が十人いたら、十通りの行動が生まれる。

このことを受けて、

「最小単位を基軸にしたアルゴリズムから出力される様々な音(シーケンス)」を「聖書・経典に基づいての人々の行動」と設定したため、その記述になっています。

攻撃的な音がすることもあれば、頭がいかれたような音がすることもあり、優しい音がすることもあります。何を接続したかにも影響されます。

world.Mauritania.Griots : “Biadh Vagho”


日本においては輸入タコで有名らしいアフリカ北西部に位置するモーリタニア・イスラム共和国、そのグリオによる”Biadh Vagho”という曲(語り?)です。弦楽器の楽器名はンゴニではないかと思われます。ボロンボロンという素朴な弦楽器サウンドに甲高いヴォーカルが乗ってくる感じがとても刺激的であり、声の出し方やこぶしの入れ方など、どこか懐かしい日本の民謡のような雰囲気も醸し出しています。曲を聴くにあたって初めてモーリタニアという国の存在を知りましたが安い寿司屋やたこ焼きなどでその国の物は食べている可能性があります。Google翻訳機にタイトルを入れた時に出る「餅を食べる」がこのタイトルとして正しいのかどうか謎です。謎に満ちているのでというわけでもありませんけど、いかにも異国の音楽らしい空気感がとても心地よいと感じられます。apple musicでは聴けましたので興味のある方はどうぞ。

world.Mali.”Toumani Diabaté” : “Si Naani”


西アフリカ発祥の弦楽器「コラ」の音です。マリ共和国のコラ奏者であるトゥマニ・ジャバテの2008年のアルバム「The Mandé Variations」から「Si Naani」という曲になります。Wikipediaから抜粋すると、「コラを演奏するのは世襲制の職業音楽家で、グリオ(griot、マンディンカ語:ジャリ(jali))と呼ばれる人々である。グリオは単に楽器の演奏をするだけではなく、歴史上の英雄譚、遠方の情報、各家の系譜、生活教訓などをメロディーに乗せて人々に伝えることを本来の目的としている。」ということですので、日本で言うと琵琶法師のような位置づけになるのでしょうか。西洋音楽ではあまり使わない半端な音程が鳴っているように聞こえます。インドのシタールとも違うスケールなのでしょうか。コラの正式なチューニングなのか西アフリカの楽器にインド風のチューニングを施しただけなのか分からないのがもどかしいところです。